主人公=プレイヤーは可能か?!『あの空の向こうに』の狙い
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はじめに
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無個性主人公について
『あの空の向こうに』を作る大きな原動力は、一つはプレイヤーと主人公が一体化することは可能なのか、もう一つはゲーム世界におけるプレイヤーの存在とは何なのか、この二点をはっきりさせたかったからでした。二つ目は次で語るとして、一つ目のプレイヤーを主人公を一体化させる試みとして、最も代表的なのが「無個性主人公」でしょう。彼らは、個性がないゆえにどのプレイヤーであっても感情移入できるとして、多くの創作にて導入されています。しかし、本当にそうなのでしょうか。私たちプレイヤーは当たり前ですが、誰しもが個性や目標を持っていて、そのために時には他人ではなく自分を優先させます。しかし無個性主人公は基本そのようなことはしません。私はこの欲のない主人公に「のっぺらぼう」のような違和感を感じていました。個性がないということは、人間性が欠如しているということではないのでしょうか。
無個性主人公ではプレイヤーと主人公が一体化することが不可能として、可能な方法は存在するのか、この方法を探る中で思い当たったのが「メタフィクション」でした。
メタフィクションとは、第四隔壁の打破であり、フィクションがノンフィクションをフィクションに見立てる表現技法である。
転じて、読者を含んで言及する皮肉や婉曲表現をいう。引用元(メタフィクションとは (メタフィクションとは) [単語記事] - ニコニコ大百科)【アクセス日 2018年12月28日】
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ゲーム世界を踏み荒らすプレイヤー
ゲーム世界におけるプレイヤーの存在とは何でしょうか。私はゲーム世界を俯瞰し、基本的にはゲームのキャラクターとは離れた地点で介入する存在であると考えます。ゲームの選択肢によってプレイヤー自身の未来が変わることはまずありえませんし、だからこそ現実世界ではしないようなことができます。これはまず揺らぐことはありません。
そのような立場のプレイヤーにキャラクターが復讐するというのが『remember11』のテーマ(これはあくまで私の考察であり、明言はされていません)でした。この作品をプレイした後に、私はキャラクターがプレイヤーに物語世界の住人でないと理解したうえでそれでも恋をし続けるキャラクターは面白いのではないかと思いました。
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『あの空の向こうに』制作の狙い
プレイヤーに、主人公というフィルターを通すことなく、速水紫月というキャラクターと恋愛してもらうというのが制作の狙いでした。そのため紫月のキャラクターは、主人公には他の誰かが乗り移っているのにも関わらず、その誰かと恋に落ちるというサイコなキャラクターになりました。
メタフィクションと恋愛の要素をうまく組み合わせるのには苦労し、初期案ではあまりにサスペンス要素が強くなりすぎたのですが、愛を求める愛を知らない少年という側面を押し出したことで少し緩和されました。ゲームのキャラクターに告白されるという不気味さを気にせずプレイされた方も多いはずです。
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最後に
一章、二章をかなり熱を入れて書き、その随分あとにその他の章を書いたため、文章の雰囲気が少し変わっているような気がします。熱意がありすぎると疲れてしまうのでこれでちょうどいいと信じます。
メタフィクションを一作目に持ってくるというのはかなり大変だったのですが、主人公=プレイヤーという王道を大幅に逸脱していいのかという疑問には決着をつけることができました。プレイヤーを物語世界に引きずり込む試みのためにはメタフィクションを使うのが最適解であり、他の方法を使うのは違和感を逆に生んでしまいます。
次回作は、今回の作品とは一転して主人公は濃いキャラクターにして、明確に主人公と区別しようと考えています。そのためどんなジャンルだったとしても、性別問わず遊んでいただけるものになっています。まだ構想も決まっていないのですが、この作品よりは長い作品になるはずです。
紫月の大切な人になってくれたあなた、ここまでこの記事を読んでいただきありがとうございました。まだなっていない方はぜひプレイしてみてください。あなたが紫月のことを忘れても、紫月はあなたのことを忘れません、決して。