好奇心の赴くままに

創作活動について…とか

文章を書く前に立ち塞がる「面倒の壁」

 文章を書くことはとても楽しい。

 面白い表現を思いついたときや、いい雰囲気の文章が書けたときは勿論、そうじゃなくっても心が晴れ晴れとする。文章のジャンルは、小説でもいいし、日々の何でもないことを書き連ねるのでもいい。

 日常から少し離れて、書きたい事柄にどっぷり浸れるのは執筆の醍醐味だ。

「面倒の壁」とは

 けれども! 文章を書くことは面倒なのだ。

 キーボードの前に座って、カタカタと文字を並べはじめるまでに、かなり時間がかかってしまう。書き始めると楽しみが待っているとわかっていても、どうしても机の前に座るのを躊躇してしまうのだ。そして「今日じゃなくていいか……」とスマホを開く。執筆の前にそびえる「面倒の壁」は、やすやすと飛び越えることはできない

 この躊躇してしまう心を打ち払うべく、先週から「書くことを習慣化すればいいんだ! 週に一度は、何かしら文章をアップロードするぞ」と決めた。その固い決心は、2回目にして日曜の22時に書き始めるぐらい決壊寸前だ。

 何故こんなことになってしまったんだろう。

 理由は簡単。書くという行為は、常に頭をフル回転しなきゃいけないからだ。そんなの執筆に限らないだろうって? それはその通りだけど、書くことは特に面倒くさい。その理由をこれから説明しよう(そして、これを読んだあなたが面倒の壁を乗り越えていたら、解決方法をみんなに公開してください)。

無心でできない

 ゲームやイラスト制作、楽器演奏……多くの趣味には無心になれる作業や練習方法がある。頭で考えるんじゃなくて、身体が勝手に動くのだ。そのとき言語は邪魔になるため、頭は非常にリラックスした状態になる。脳を一ミリも動かす気になれない疲れたときも、こういった動作なら「やるか」という気分になる。

 一方、執筆は言語を紡ぐ動作のため、頭で常に考える必要がある。書くことに没頭すると無心に近い状態になることはあるけれど、考えることは手放せない。身体の動くままに文章を書いても、大概ろくでもないものしか出来上がらないからだ。

 というわけで、頭が疲れたときは執筆できない。

ながらで作業できない

 能動的な作業ならどれでも当てはまるだろうけれど、ながらで作業はできない。頭は「文章を書く」というタスクで手一杯なので、並列で「アニメや動画を見る」なんてことは不可能なのだ。

 スマホソーシャルゲームをしながら、iPadでアニメを見つつ、スピーカーからは流行りの音楽を流す……みたいなことができる現代社会において、1つの作業に集中するのは存外大変だ。手を伸ばせば届く誘惑を跳ねのけなきゃいけない。

まとまった時間が必要

 満足できる文章を書くためには、没頭状態になることが必要だ。この状態には、まとまった時間が欠かせない。

 私の場合は、コンディションが良くても30分、悪い場合は1時間ぐらい取れないと執筆に没頭できない。残念なことに没頭状態になれなかったときは、どうしても不完全燃焼感が拭えない。

 そして「うーん、今日は気分じゃなかったなあ」とぼやくのだ。

まとめ

 ここまで執筆が面倒な理由をつらつら述べてきた。これで面倒な理由は可視化できたし、うまく飼いならす方法も見つけられるかもしれない。

……まあそんな術はなくて、執筆っていうものは「面倒と楽しいのセット売り」なのかもしれないけれど。